禁止ってなんだ

禁止という言葉がある.たとえば駐車禁止.これらは通常「やってはいけない」という意味をもつ.「駐車してはいけない」「免許失効状態で運転してはいけない」.やってはいけないことをするから裁判所に(以下略

 言語獲得の分野では,たとえば日本語において「きれいな(連体形)+花」というのは文法的であるが「きれいで(連用形)+花」というのは禁止されている.花は名詞・体言であり用言ではないので「連用形」で修飾してはならない.「やってはいけない」のである.
 こういった禁止則を幼児はどうやって獲得するんだろうか?言語獲得や言語発達を調べると「幼児は否定的な意見をほとんど得られない(否定証拠の欠如)」が主張されている.ということは「コレは何があってもやってはいけない=文法的ではない」という結論は得られないのである.では,この規則をどのようにして獲得するのだろうか?
 近年の研究では幼児は言語データの統計的な性質(単語と単語の共起頻度や遷移確率など)の肯定証拠の積み重ねである統計的な性質を利用していることが示唆されている.では,幼児は統計的な性質だけから「禁止則」を獲得できるのだろうか?
 統計的な性質を考えるとき,幼児が得られるデータ(言語刺激)はあくまでサンプルであり,真の母集団をあらわしているわけではない.つまり,「幼児がコレまでに聞いてきたサンプルの中にたまたま『連用形+体言』が少なかっただけ」という結果だけから「禁止則」を生成することができるのだろうか?
 統計的には「あくまで出現頻度が非常に小さい」でありP(体言|連用形)〜0に過ぎない.ところが禁止則は文法的であるか無いかの二値化を行っている.果たしてこの統計的性質と禁止則は幼児の中でどう結びついているのだろうか?
 ここで問題を整理しよう.幼児(成人を含めたヒト)はたくさんの文法的な規則を意識・無意識的に獲得し,その中には禁止則(文法的ではない)も含まれている.しかしながら,否定的な証拠は得られない(やってはいけないことだとは言われない).すなわちうすらぼんやりと「なんとなく見ない単語列だ」と気づくか・気づかないに過ぎない.すなわち問題は「果たして連続的な確率密度関数から二値的な禁止則をどのようにして獲得しているのだろうか?」に帰結される.
 答えは無論まだない.困ったもんだ.もちろん,「適当にイプシロンで閾値決めて処理すればいいじゃない」という意見もあるだろう.より生理的な側,ヒトのより物質としての機能を考えればこのような閾値は確かに存在し,多くの証拠が得られている.たとえば,神経細胞を電気信号が伝わる早さ,筋肉の収縮時間など.しかしながら,言語のような高次機能において恣意的な閾値を決めるのは非常に尤もらしくない.なぜなら,ヒトは統計的に1%以下のことは「起きないものと仮定する」という証拠を得ることは非常に難しいだけでなく,それに反する信念(自分だけは宝くじに当たるかもしれない)を持ちうるからである.もしそういう閾値が存在するのであればヒトの中にあるのではなく,言語環境の側,知覚環境の中にあってほしいものである.
 書いたからといってどうということは無いのだが,どうやって禁止則を獲得しているかを調べることは,上記の文法規則の獲得だけでなく,「よく似たインスタンス達」を「カテゴリの構成メンバ」として考えるカテゴリ獲得にもつながるからである.

 あとはまぁ年賀状のやり取りをしなくなって何年でヒトは「たまたま今年来なかっただけ」という統計的な解釈から「彼は他人だ」と見切りをつけるか,という問題にも大きな光を投げかけるんじゃまいか.