慶事

先輩が先日話題にした新司法試験で合格していた.先日,いったんは「馬鹿が通るからだめなんじゃないか?」といいつつもよく考えると「いや,人員過剰になれば民間と同じで真に優秀な(依頼者を大事にしながら裁判で勝てる)弁護士しか残れないいい世界なんじゃなかろうか?」と考えたのですが,先輩が通るとなると勝手なものでやっぱりお祝いをしにいったのです.
 「どういう弁護士になるのか?」と問うと,先輩は「派手な舞台(国際法とか)で活躍するのではなく,弁護士過疎地に勤務することを希望し,法に明るくない人を助けていく」どちらかというと「一般市民の弁護士」を目指していくとおっしゃられていました(曲解していたらごめんなさい).
 先輩の希望は大変だと思うのですがとてもすばらしい思想だと思ったのです.加えて,思ったのですが,この先輩の指針というのは,司法試験制度が変わり,アメリカほどではないですが訴訟が増え,裁判が増えてきている今,経営的に見ても戦略として「あり」な道だと思うのですよ.数少ない大きい仕事を取るというのも戦略ですが,やはりそれはすでに力を握っている人がなかなか手放さないでしょう.となると,薄利多売で弁護士過疎地の村丸ごとを顧客にすれば,その村の子供(当然都会に出ていたとしても)も丸々顧客になるわけです.で,小さい依頼をしながら,当然毎年他界する老人はいるわけできちんと遺産整理等の仕事も確保できると,ぎりぎりニッチかつ需要大なところではなかろうでしょうか?(先輩いわくすでにそういうムーブメントはありつつあるそうですが).
 で,途中から酒もいい具合に回り話していたのですが,これから「かかりつけの医者」ならぬ「かかりつけの弁護士」という人ができるといいのではないかという話になったのです.顧問料のようなお金を払うわけではないんですが,なんとなく家の家族構成や子供動向なんか耳にはしてもらっていて,で,いざ遺産だ交通事故だってときに依頼をして,子供ができたら「うちのかかりつけの弁護士さんがとてもいいので紹介するわ」と,そういう土地に人に密着の弁護士って素敵だなぁという話をしていたのです.
 もちろん,その場で僕ともう一人の先輩は,新弁護士さんに「かかりつけの弁護士」を依頼したのでしたw