自己欺瞞と自己解放

いつもお世話になっているnosemな人が苦しんでいる.今日ちょっと落ち着いたようすでもあるけれど,きっと明日になれば,いや,今夜だって,また再度逆方向にゆれるかも知れないと思う.
 それはきっと人事じゃない.研究者として生きていくのか,生きていきたいのか,生きていけるのか,本当は何がしたいのか,本当に今何がしたいのか,研究人生をやめて働くことはきちんと研究を続けているヒトからすると「負け犬」「逃げ」と考えられるんじゃないか,そもそも自分の人生から逃げるんじゃないか.
 僕は研究者(の入り口)人生を今年いっぱいで区切ることに決心したけれど,誰も俺の人生の尻はぬぐってくれないし,養ってくれるわけでもないし,ゴハンを食べさせてくれるわけではないっていうことを,逃げることの言い訳として使っているんじゃないか,と考えてしまう.人に話すときには,「ほかにもやりたいことがあるんだ」なんてえらそうなことをいっているけれど,本当はいつもこういった「言い訳」を懐に抱いて,自分自身をだましている.そして,自分をだましていることにも気づいているのです.
 かといって,そういう自分の懐の言い訳を隠して,見栄を張ったところで誰も得しないなぁ,と思うとやっぱり,それはそれで「自分が好きなように生きる」んだったらいいのかなぁとも思うわけです.ぐらぐらゆれまくりwww


 馬鹿げた自己啓発本やメンヘラじゃないけど,見栄を張ったって仕方がないから,好きにや好きにやろっと,と思ったわけです.そして思っているわけで,今後も思っていたいわけです.