迷うこと

僕はよくヒトからよく「方向音痴」だといわれる.でもそうではないのだ.きっと.今日わかった.以下,何がわかったか語ろうじゃぁないか.興味がない?そんなこといわず,読んでみてくれよ.きっと目から鱗がたくさん落ちるから.
 ヒトはいろいろな戦略を意識・無意識に選択し,大域・局所的にかかわらず,とりあえず自分のスコープの範囲内でのベネフィット(利益)を最大にするようにして生きている.子供を作るのは生物として大域的な目的を考えるならば,自分の遺伝子を残すことが考えられるし,もう少しだけ小さく社会的・文化的な目的を鑑みると,自分の老後の面倒を見る人間を育てる,個々人の局所的な面から見るならば,ともに笑い,愛情を与え,与えられる関係を構築することだと考えられるだろう.
 地球や宇宙という大域を見すぎるとできないことや,考えなければならないこともたくさんあるけど,適切なスコープで適切な目的を設定し,適切に戦略を選択することが大事だと思う.地球のために夜中の冷房は切っておくことがよいと思われ.ちなみに下宿ではなぜか僕が冷房禁止令を出したことになっており,そこまでいったつもりは無いのだが,扇風機が4台活躍している.いやぁ,でも扇風機はいいよ.あれ考えたヒトは偉いからね.
 と,あまりの扇風機の好きっぷりに脱線したが,何の話だったか,そうだ,適切な戦略選択だ.以下では,まず迷子を適切に定義すると同時に,ヒトが迷子になるシチュエーションを考え,適切なスコープ設定および目的設定を帰納的に考えてみよう.
 ちなみに大辞林によると

〔「迷(まよ)い子」の転〕
(1)親にはぐれたり、道に迷ったりした子供。
(2)連れからはぐれること。また、そのもの。
「船が一隻―になる」

と,あるが,子供であることが条件であり,親が登場することから,現在一般に使われる言葉とは若干のずれを感じざるをえないので再定義を行おう.
 まず,そもそもの迷子の前提として,目的地が存在しなければならないと考えられる.なぜなら,行きたい所がなければ,行くこともなく,迷うことも無いからである.例えば,目が覚めると,良くわからない場所にいるとしよう.その場合,あなたは,迷子だろうか?そうではない,それは,酩酊して変なタクシーに乗ってしまったか,どこかの諜報部員によって拉致されたかのどちらかであり,迷子とはいえないだろう.また,逆に行きたいところがないときに,「は,俺迷子だ」と思うヒトがいれば,ある意味でその人は人生における迷子ではあるが,通常の意味の迷子ではない.いや,むしろ,もっといろいろと心配したほうがいい.そこで,以下のように迷子を定義した.
【定義】

「迷子」とは,目的地が存在し,

  1. 目的地に到達できない
  2. 現在位置がわからない

のどちらかの条件を満たす.

すなわち,目的地がなければ,自分がどこにいようと,どこにいけなかろうと,問題ではなく,迷子ではないということにする.なぜなら,そこに本人の「目的地に到達しなければ」という明確な目的が介在していないからである.考えてみろ!ランニング来ておにぎりほうばった画家のおっさんを「迷子」と呼ぶか!!どうだろう,ここまでで問題があればぜひぜひ,コメントなりメールなりで苦情を受け付ける所存だ.
 この定義と同時にシチュエーションも明確になった.「行きたい所があって,なおかつ,目的地または現在地または,その両方がわからない」という状況が迷子である.
 つまり,「目的地がある」という状況における目的は「目的地に到達すること」であり,p(x)が「xの位置」とするならば,目的地と現在地の距離Dは,

D=p(目的地)‐p(現在地)・・・(1)

であり,Dを0にすることが,目的地に到達することを表している.
 さらに,通常,われわれは,「50年かけて月に行く計画を立てているが,なかなか進展しないヒト」を迷子とは言わない.そこで,千年計画とかではなく,式(1)を満たすまでにかかる時間Tは短いほうがいいだろう.さらに,このときに,かかるコストCも考えなければならない,なぜなら,現代日本において,ヒトはみな,金を使う身分ではなく,金の奴隷といっても過言ではないからである.金がまったくなかったら死ぬか刑務所しかないぷー
 そこで,コストを考えると,当然飛行機を使えば早いし,距離が遠ければ金もかかる.もちろん,安いに越したことはない.無駄遣いは地球の敵だ!Save the Earth!
 必要そうな値が出揃ったところで,「目的地に到達する」という問題における目的関数を仮に形式化すると

f=D+\lambda^1T+\lambda^2C

を最小にすることである.「\lambda^1」および「\lambda^2」は定数.
 綺麗な式である.この式を小さくすることが意味するところを再度数学に明るくないヒト(自分も含め)に説明すると

  1. つかなきゃだめ
  2. できるだけ,はやく
  3. しかも,やすく

ということだ.
 このときに,問題なのは,「早く」や「安く」がヒトによって状況によって異なっている点である.考えたらわかる,昔は時間よりも金が無かったから18切符とヒッチハイクで青森まで行って帰ってくるとかいう頭ゆるゆるなことができたが,今は時間が大事(じゃぁ,こんな文章書くな!).
 こういうふうに形式化することで状況の違いも含めた個人差も説明することができる.つまり,どのような戦略をとるかは,定数「\lambda^1」および「\lambda^2」によって決定すると...つまり,何が何でもつかなきゃならない,PV撮影直後のジムウォルシュにとっては「安く」とかは,まったく関心がない.すなわち,値段がいくらだろうと,とにかく早く絶対につくために飛行機だってチャーターしちゃうぜ!
 この式でいいのだろうか?いや,きっとそんなことなくて,「今日は彼氏とデート.映画館で待ち合わせ」なんてOLはきっと,映画館に向かう途中に寄り道してミュールとかカバンとか化粧品とか見るに決まってる.そうすると,時間はかかってもいいけど,好奇心とか関心のあるものを見て回りながら,つまり「日々の美しさ」というファクターW(wonderful day)が必要なのではないだろうか.もう一度言おう,必要なのではないだろか!
 そうかんがえると,僕だって迷ってはならないときは地図も用意すれば,1時間も前に現着するように計算されている.でも,日常,「迷った,迷った」というときは,「早く」がいまいち重要なファクターではない.むしろ,そこから得られる「コストの低さ」や「ゆっくりと流れる時間」,「草々の美しさ」,「触れ合うヒトのやさしさ」,「愛」なんかが最大になるように,ともすれば,絶対目的であるはずの「現着」すら,崩しかねないくらいだ.
 先ほどの式に変更を加えて

f=\lambda^0D+\lambda^1T+\lambda^2C-\lambda^3W

というように「\lambda^3W」という項が追加される.
 この式から考えるならば,僕や小学校へ登校中の子供さんの場合\lambda^3がべらぼうに大きくなっているのである.
 つまり,別につかなくてもいいのである.そうだ,そう考えると,ほら僕は,数学的にも,「迷子ではない」「日々をいつくしみ生きる」ことが示されているんじゃないだろうか.納得できない奴はかかって来い!!
 なにがいえるかというと,迷子とか迷子じゃない人間というのは分けられるものではなく,ひとつの式で表され,この式の値を最大にするように振舞うことで「迷子のように見えるヒト」と「迷子でないように見えるヒト」というのが連続体のように存在しているのである.そして,それらの振舞の違いは,いかに「日々のすばらしさ,うつくしさ」を慈しみ,愛しいものとして考えているかで別れるのではないだろうか,ということを声を大にしていいたい!
 結論としては,

僕は「最終的に目的地につく」という意味で迷子ではないんだ!そして,その過程において「早さ」が重要なファクターではないだけなのである.むしろ,「日々のすばらしさ」に価値を置いた場合には,最もベネフィットが得られる戦略から生まれる振舞が「すこし,迷ったような経路をとってふらふらと自信なさげにすすむ」というものなのである!


ただし,「目的地がないから,迷子ではない」というのは,「働いたら負け.人生の勝ち組だと思う」などの発言と似ている気がしてならない.「迷子ではない」=「ニート」か?