栞に気づく最適解

昨日,久しぶりにあう後輩とたくさん話をした.好きなものがたくさんある後輩で,好きなものを大事にしているところがいい奴だと思った.
 たくさんした話の中で,本の栞の話をした.後輩があるヒトとあって本作りについて聞いてきたそうだ.「本を作る過程で,最後にスピン(栞の紐)の色を決める.スピンの色を決めることは重要だ.その色で本全体の印象が決まってしまうことがあるから.でもね,もっと砕身していることは帯のコピーなんだよ.(中略)帯のコピーは編集者が責任を持って書くんだ.最大でも20文字,それくらいの文字で本の骨子を的確に著さなくてはいけないから大変だよ.何時間も,何日もかけて考えても編集長はなかなかOKを出さないんだ」
 彼はこの話を聞いて,いたく感心しているようだった.作った人の気持ちを思い測って知る,そして大事にするってことは大事なんだとおもう.でも,なんていうか,今はそれほど読めないんだけれど,僕も本が好きで,だからこそ「ちょっと自分とは違うな」と思うことがある.極論すると,クールというか人の気持ちを大事にしないといわれるかもしれないけれど
「関わったヒト(作家・編集者・印刷所員・書店員)からすると大事な栞」だけれど,僕は栞で本を買うことはない.
「本の中身(作家が書いた文章)」を目当てに買うんだと思う.
気を使ったところ,例えば,本によって栞の色がいろいろあることや帯の文句,装丁の材質,カバーの絵柄とカバーをはずした絵柄が違うこと,裏表紙のあらすじから,書評,あとがきまで実に単行本は凝って作ってあることを知らないってことは,もったいないとは思うけど,それが第一になってしまうのは問題だと思う.
 時折,例えばコーヒーを飲みながら本を読んでて,何気なく閉じた栞の色に気づいたりするのは素敵だと思うし,読みながら転寝(うたたね)して,目が覚めたときに風ではがれたカバーの隙間からカバーとは一味違う絵柄であることに気づいたりできるくらい,それくらいがちょうどいいんじゃないかな?と思った.


あ,偉そうに書いていますが,好きな装丁のヒトは和田誠と結構ミーハーです